
No.06 「1985年の女性ファッション誌でタイムスリップ」by 増田海治郎(ファッションジャーナリスト)
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イマに続く1985年の40のコト。
Profile
増田海治郎
1972年生まれ。雑誌編集者、繊維業界紙記者を経て、ファッションジャーナリストとして独立。国内外のファッションショーを中心に、メンズのドレス系ファッション、古着、ビジネス関連など、幅広いジャンルを取材している。著書に『渋カジが、わたしを作った。』(講談社)がある。
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ファッションの情報を雑誌から得るという若者は、2025年の今では希少な存在なのかもしれない。日本雑誌協会が公表している代表的な女性ファッション誌の印刷証明付発行部数(2025年1-3月)を見ると、『CanCam(小学館)』50,067部、『non・no(集英社)』59,667部、『an・an(マガジンハウス)』147,458部、『ELLE JAPON(ハースト婦人画報社)』54,600部となっている。
この数字を挙げられてもピンとこないかもしれないが、雑誌が最盛期を極めていた1985年はこの5〜10倍の部数が当たり前のように刷られていた。スマートフォンもインターネットもなかった1985年は、ファッションの最先端の情報を得るメディアとして、雑誌は機能していた。当時の若者たちは、ページの隅から隅までを読んで眺めて、ファッションへの憧憬を募らせていたのである。あの頃の雑誌には、1985年の最新、最高の情報が冷凍保存されているのだ。
今回は、1985年の雑誌という迷宮にタイムスリップしてみることにしよう!
時代を牽引する存在だった『an・an』

1985年12月6日号の『an・an』。表紙写真のスタイリングはトラッドベースながら、写真の雰囲気は他誌と比べると圧倒的にモード感が強い。
まずは、最先端のファッションの情報が満載だった『an・an』(マガジンハウス)から。8月9日/16日の合併号の特集タイトルは「秋の展示会で、バイヤーが競って買い付けた服。」。白人女子モデル3人の表紙(トップ写真の下)は、いかにも1985年らしいパターンオンパターンの貝島はるみさん(※1)によるスタイリングで、この時代のパワーと華やかさが一目で伝わってくる。
特集では[コム デ ギャルソン]のジャンパースカートがバイヤーの人気アイテムとして紹介されていて、価格は¥52,000。同じ特集内で紹介されている[アニエスべー]のショート丈のレザージャケットは¥88,000で、1985年の大卒初任給(¥140,000)から考えるとかなり高額だったことが分かる。

1985年12月6日号の『an・an』の特集扉ページ。現代にも通じる洗練されたスタイリングが素晴らしい。
12月6日号の特集タイトルは「普通の服が、いちばん洒落ているとわかる迄に、何年もかかった。」。扉ページはツイードのジャケットが紹介されていて、左の女性モデルはグレンチェックのツイードのジャケットのインナーに、[リー]の60-70年代のデニムのワークジャケットの名品 “91-b” を着ている。クレジットには¥32,800(借り先は原宿の名店である「バナナボート(※2)」)の記載があり、この頃にヴィンテージ・デニムがファッションとして受け入れられ始めていたことが分かる。この特集ではカシミヤのセーター、シルクのブラウスなどの長く着られる上質な普通の服が紹介されていて、「派手に見せるのは優しいけれど、普通に着るには、センスが要求される。」といったバブル前夜の時代の空気を風刺するような見出しも。
※1 貝島はるみさん…1980年代初頭〜中盤の『an・an』で活躍したスタイリスト。きものの分野でも大正ロマンブームの火付け役として知られる。
※2 バナナボート…原宿のプロペラ通りにある古着屋。1980年代初頭からビンテージ・デニムのシーンを牽引してきた。
『Olive』も『non・no』もパリの女子高生=リセエンヌが目標

1985年12月18日号の『Olive』。この時代らしいポップな色使いながら、洗練された雰囲気が漂う。筆記体のタイトルデザインは堀内誠一さん(※3)。
次は同じマガジンハウスの『Olive』。フランスの女子高生=リセエンヌのスタイルを提案し、この時代の中学生〜大学生にパリへの憧れを植え付けた伝説の雑誌である。当時の編集長は、後に『an・an』や『GINZA』『クウネル』などの編集長を歴任した淀川美代子さん。
12月18日号の特集は「トクしたね! 私の上手なお買い物。」と「全国62のお店が、オリーブ少女のためにバーゲンセール!!」の二本立て。この時代のファッション誌は、パリの最新モードの情報などの読者の憧れを刺激する一方で、憧れを安く手に入れる情報やバーゲン情報を定期的に特集するのが常だった。また、東京だけの情報に偏っていないのも特徴的で、本特集のバーゲン情報でも札幌、名古屋、大阪、神戸、福岡の細かいショップ情報が掲載されている。

1985年12月18日号の『Olive』では、1着で2着分楽しめるリバーシブルが「トクする強い味方」として紹介されている。
ファッションフォトも『an・an』ほどモード寄りではないものの、この号のモデルは全員白人女性。スタイリングはいかにもこの時代らしい元気な感じで、ページを捲るだけで楽しい気分になる。上写真のリバーシブルのページでは、今も大人気の[ヒステリックグラマー]のブルゾン(¥32,800)が紹介されている。
※3 堀内誠一さん…グラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー、絵本作家。『Olive』の他、『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』のロゴデザインを手掛けた。

1985年1月20日、2月5日合併号の『non・no』(集英社)。ピンクの文字が強い印象を与える。
次に紹介するのは集英社の『non・no』。ピンクの文字が鮮烈な1985年1月20日、2月5日合併号は、表紙こそ白人モデルを使っているものの、ほとんどのページは日本人モデルで、マガジンハウスの2誌と比べると実用的かつ庶民的な雰囲気が強い。また、ファッションの情報だけではなくビューティ、占い、クッキング、インテリア、旅、音楽の情報をもれなく紹介していて、総合誌的な性格だったことが伺える。

1985年1月20日、2月5日合併号の『non・no』(集英社)では、この時代の女性ファッション誌の定番企画だったパリジェンヌのスナップを紹介している。
また、新春特別企画「海外特派ファッション・ルポ」として、「パリジェンヌの着こなしってやっぱり、すごい!」という特集も。フランスで1985年6月に発売された「les Mouvements de mode」という若者ファッションを親世代に詳しく説明する本に倣って、洗練された「ブランシェ」、音楽が背景にある「パンク」、健康的なリセエンヌの「ミネット」、上流階級風の「BCBG(ベーセーベージェー)」の4つのタイプをスナップで紹介している。今のパリとは比べ物にならないくらいシックで洒落た雰囲気で、当時の日本の女子高生たちが憧れたのも頷ける。
中高生の支持が高かった『mc Sister』

『mc Sister』の1985年11月号。モデルは西橋優恵さん(左・※4)と土屋久美子さん(右・※5)。
当時の女子中高生の間で、高い人気を誇っていたのが『mc Sister』(婦人画報社、現ハースト婦人画報社)。モデルは日本人がメインで、専属モデルを“シスターモデル”と称して、年に一度の一般公募オーディションで選考していた。今井美樹、村上里佳子、川原亜矢子など数々の俳優、タレント、モデルを輩出し、この時期はスターへの登竜門とされていた。

『mc Sister』の1985年11月号では、パリのマドモアゼル・ルックを特集。この時代にモノトーンの提案は珍しく、編集部の感度の高さが伺える。
特集は「この秋、マドモアゼル(※6)が憧れ!」で、とにかく誌面全体がパリへの憧れで構成されている。ベーシック、モノトーン、ママのシャネル風ルックなど、パリっぽい雰囲気を実用的な日本のブランドでスタイリングしていて、どこか教科書的なニュアンスも。続く男性的な「マニッシュスタイル」のページでは、テーラードジャケットやミリタリーのボマージャケットをクールに着こなすスタイリングを打ち出している。
また、各都市でのスナップも名物ページのひとつで、同号では6ページにわたって札幌編の読者スナップが紹介されている。1988年頃からメジャーな流行になったアメカジのムーブメント「渋カジ」や「チーム」に関しても、男性ファッション誌に先駆けて紹介しており、若い世代の情報をいち早く紹介していたという点でも価値がある雑誌だった。
※4 西橋優恵さん…女優、モデル。現在は優恵の芸名で活躍中。
※5 土屋久美子さん…女優。1990年「バタアシ金魚」で女優デビュー。
※6 マドモアゼル…フランス語で未婚の女性に対する敬称。日本では未婚女性を指す「お嬢さん」や「令嬢」のような意味合いで今も使われているが、フランスでは行政文書での使用が廃止されている。
知的好奇心を刺激した文化的なモード誌 『ELLE JAPON』『流行通信』。

1985年11月5日号の『ELLE JAPON』。他誌と比較すると紹介されているブランドの格がワンランク上。
先端層に向けたモード誌も元気だった。『ELLE JAPON』(当時はマガジンハウス、現在はハースト婦人画報社発行、講談社発売)は、1970年にフランスのELLEの日本版として『an・an ELLE JAPON』として創刊。1982年には独立したファッション誌となり、写真やスタイリングは当時としては最先端を行く実験的なものだった。下の写真の1985年11月5日号のコートの写真の構図、スタイリングは(写真:斉藤雅義さん、スタイリング:稲田京子さん ※7)、この原稿を書くにあたって触れたファッションフォトの中でも白眉。右側の黒のコートは[アズディン・アライア](¥250,000)だ。

1985年11月5日号の『ELLE JAPON』の印象的なファッションフォト。現代のファッション誌では不可能な豊かなページの使い方である。
また、同号の特集は「バッグと靴」なこともあり、世界中の銘品も紹介されている。特集内の爬虫類のバッグを紹介するページでは、エルメスのトカゲ革のケリーが紹介されていて、価格はなんと¥430,000! 現在の中古市場では20倍ほどの値が付いているが、この当時の一流企業に勤めているOLなら、ボーナス一括払いで買えないこともない金額だったのである。
※7 稲田京子さん…1978年からスタイリストとして活動。『ELLE JAPON』を中心に活躍した。

ファッションを文化的な側面から紹介していた『流行通信』。
カルチャー誌の性格が強かった『流行通信』(流行通信社、現INFASバブリケーションズ)。1985年8月号の特集は「我がココロのスノビズム」。作家の村上龍さん、漫画家の杉浦日向子さん(※8)の対談、出石尚三さん(※9)のコラムでスノビズムの本質に迫りつつ、スノッブなファッションデザイナーとして若かりし日のマーク・ジェイコブスが紹介されている。

TAKEO KIKUCHI(タケオキクチ)、TOKIO KUMAGAI(トキオクマガイ)、KENSHO ABE(ケンショウ・アベ)などでスタイリングを組んだ、1985年8月号の『流行通信』のファッションストーリー。
特集の扉ページのファッションストーリーのタイトルは「長髪族の叛乱(はんらん)」。当時でも大御所だった長濱治さん(※10)のモノクロの写真の迫力はとにかく凄い!
2025年の現在、ファッションの過去の情報に触れたい時、動画に関してはインターネットで事が足りる。しかし、文字と写真の情報に関しては、当時の雑誌に勝るものはない。古本屋、メルカリやヤフオク!などでまだ入手できるので、雑誌でタイムスリップ、おすすめです。
※8 杉浦日向子さん…漫画家、江戸風俗研究科。代表作に『通言・室之梅』『合葬』『風流江戸雀』などがある。
※9 出石尚三さん…服飾評論家。著書に『ロレックスの秘密』『完本ブルー・ジーンズ』『男のお洒落』などがある。
※10 長濱治さん…写真家。海外のフェスやカウンターカルチャー撮影の第一人者。ファッション、広告、ポートレートなどの分野でも幅広く活躍している。