No.22 「あの人に聞く 1985年」 編集者 中島敏子さんの場合

No.22 「あの人に聞く 1985年」 編集者 中島敏子さんの場合

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イマに続く1985年の40のコト。

RAGTAG 40th

2025.11.18

マガジンハウスの雑誌、『relax』や『BRUTUS』などの編集者として活躍し、『GINZA』では編集長も務めた中島敏子さん。
フリーとなった現在も、編集者としてファッションやカルチャーの領域で幅広く活躍されています。
90年代以降の雑誌カルチャーにおいて、編集者として大きな足跡も残している中島さんにとっての1985年、そして以降の活躍から現在に至るまでをお聞きしました。

中島敏子

Profile

中島敏子

編集者

東京生まれ。大学卒業後に大手企業に入社。編集者を志して、転職し、マガジンハウスに入社。『BRUTUS』、『Tarzan』などを経て、『relax』では副編集長として活躍。2011年に『GINZA』の編集長に就任。既存の女性ラグジュアリーファッション誌とは一線を画す誌面作りで大きな反響を呼ぶ。編集長退任後の2018年にマガジンハウスを退社し、フリーランスに。

index

    自ら「黒歴史」と語る1985年近辺

    中島敏子さん

     

    東京生まれ東京育ちの中島敏子さんは、「中学、高校の頃から私服登校だった」ことから、学生時代からファッション好きに。週末のたびに吉祥寺エリアに繰り出し、古着を中心に洋服を買い続けていたそうです。

     

    「その頃は『有名ブランドの服を着るのはダサいこと(お金もないし)』と思っていたので、誰も知らないような街角の店を探して、自分だけのファッションを楽しんでいました。大学に入ってからもおしゃれは好きで、サークルでバンド活動をしながら、ときどき原宿の『赤富士』という、ちょっと “怖い” 古着屋に恐る恐る行って買い物したり。でも当時 “清水の舞台から飛び降りる” 気持ちで[コムデギャルソン]のジャケットを新品で買ったら本当に気に入ってしまい、一張羅としてボロボロになるまで着ていたんですね。そうしたらある日キャンパスでスポーツ新聞の記者に声をかけられて、写真も撮られて。『バンドでギターもやってる中島敏子クン』って新聞に載りましたが(笑)、まったく当時の女子大生らしい格好じゃなかったですけどね」

     

    編集者を目指していた中島さんは大学卒業後、多くの出版物を出していた某大手企業に就職。その会社で大好きな編集業務が出来ると思いきや、実際の仕事は中島さんが想像していたものとはまるで違ったそうです。

     

    「就職情報誌なども出している企業だったのですが、私が配属されたのは住宅情報誌の編集部でした。編集とは言っても、完全に営業(広告)主体の雑誌で、私が編集するのも『今こそマンションの買いドキ!』とか『地価公示発表!』みたいなページで、私自身は全く興味も湧かずに作っていました。あの当時の会社は本当にブラックだったので、連日深夜まで働かされるわ、パワハラ、セクハラ当たり前。研修に行けば普段のファッションのことまで『学生気分が抜けない汚い格好』と厳しく言われ、最終的には過労で体調を崩して退職しました。『1985年』で自分が思い出すのは、世間はバブルで札束も飛び交ってキラキラしているなーと横目で見つつ、私自身は毎日暗澹たる気持ちで過ごしていた記憶なんです」

    伝説の雑誌『relax』を作った、小さな声の集まり

    雑誌『relax』

     

    某大手企業を退職した中島さんは、新聞の求人広告を見て応募し、出版社・マガジンハウスに入社。いよいよ本格的な編集者として活動を始めますが、前職とは全く違う、本格的な雑誌編集の濃い世界に魅了されていきます。

     

    「最初に所属されたのが『BRUTUS』。『女だからとりあえずファッション担当』ということで、そこで初めてメンズファッションの世界に触れました。今みたいにネットで情報は拾えないので、週末も色んなショップに顔を出して、足で情報を集めて。それこそ当時は前職同様に深夜、朝方まで働いていましたけど、毎日が楽しくて、まったく苦に思わなかったですね(笑)」

     

    中島さんはその後、伝説のカルチャー誌『relax』の副編集長に。今もファッション、カルチャー界隈では語り継がれる雑誌ですが、当時は「なかなか理解されない異色の雑誌だった」と中島さんは述懐します。

    中島敏子さん

     

    「『relax』はコンセプトも内容も色々と変遷があった雑誌なのですが、岡本仁さんが編集長になって、私も合流して大リニューアルをした時に、状況は大きく変わりました。いろいろな特集を作ったけど、共通していたのはピースであり自由であることかな。NIGO®くんなど裏原宿界隈の人たちや、渋谷系と言われたミュージシャンたちとも距離が近い雑誌でした。いま思い返すと、編集長の岡本さん、私、デザイナー、そして社内外の編集クルーなど皆おしなべて“話し声が小さかった”(笑)。80〜90年代のバブルの光が眩しくて直視できなかったようなナイーブ男子たちが集まって、毎日ヒソヒソと話しながら、“小さいけど濃い泉”をあちこちに掘り続けていたような気がしますね」

     

    中島さんが「時代の徒花みたいだった」と振り返る『relax』は、編集部の再編などもあり、惜しまれつつ休刊。中島さんはマガジンハウス社内の「カスタムパブリッシング」(当時)という部署に異動になり、特定の媒体を持たずに企業を中心としたクライアントのメディアを作るように。その中には[ビームス]の30周年を記念して作られた雑誌『B(ビー)』、自衛隊の定期刊行冊子など、多岐にわたるユニークな紙メディアがありました。

     

    「社内では傍流の部署というイメージ(笑)だったようですが、当の私はそこの仕事は楽しくて楽しくて(笑)。外に勝手に事務所を作って(上司に許可はもらい)月に1回くらいしか出社もせず、外部の人たちとばかり仕事をしていました。『たまには会社に来てよ』とは言われながら(笑)、まあまあ稼ぎ頭になっていたので、『このまま独立しちゃおうかな』と真剣に考えていました」

    中島さんが雑誌『GINZA』で目指したこと

    雑誌『GINZA』

     

    マガジンハウスの「カスタムパブリッシング」(当時)でかなり自由に編集業務を続けていたある日、中島さんは会社の役員から呼び出され、突然「『GINZA』をやって欲しい」と告げられます。

     

    「本当に晴天の霹靂だったので、『え? やれって、私が?編集長をですか?』と聞き返しました。『GINZA』はもともとラグジュアリーブランドなどを受け入れるメディアがマガジンハウス社内にないことを受けて生まれたものですが、数回のリニューアルを経て当時は数字的に厳しく、硬直しているように見えました。改めて他社のラグジュアリー誌を見回してみても、どこもなんだか冷たくて上から目線で、白人モデルの表情は怖いし、私の琴線にはまったく触れないものばかりでした。この決定で『会社が(びっくりして)揺れた』と言われ(笑)。でも、こんな無茶なこと思いついたこの会社ってまだ面白いなと思い、引き受けることにしました。また座右の銘が『闘魂伝承』(橋本真也)なので、まだまだ若い人たちに大事なことを伝える仕事をしなくては!とも思いました」

     

    中島さんが編集長となって生み出した『GINZA』は、「今までになかったテイストのラグジュアリー女性ファッション誌」として、大きな注目を呼びます。

     

    「私が当時の『GINZA』でやろうとしたことは、『日本でもっともストレスフルな若い女性たちを応援したい』というものでした。女性は男性に比べて出社前の身支度は多いし、通勤電車は満員で毎日痴漢と戦い(笑)、会社ではお局様や上司や仕事先からパワハラセクハラ…。仕事していても『いつ結婚するの? 子供は?親の介護は?』とどんなステージでも追い詰められる。そんなしんどい社会の中でもがんばって『ファッションも好き、恋もしたいし、映画も観たい、音楽も聴きたい』という女性たちに、部屋に帰った時に少しでもリラックスして、明日への希望を感じてもらいたいと思って、誌面も大きく変えました。岡村(靖幸)ちゃんや星野源さんなどの定例ページやカルチャーページも厚くして、モデルを使ったビジュアルページも、他のモード誌みたいに “怖くない” チャーミングなビジュアルとテキストを心がけました。最初こそ理解されなかったのですが、すぐにSNSでも話題になり、理解してくれるクライアントがどんどん増えました」

    “心躍る服を着続けて欲しい”

    中島敏子さん

     

    雑誌業界に大きな影響を与えた『GINZA』の編集長を退任後の2018年、中島さんはいよいよマガジンハウスを飛び出して、フリーランスの道に。「楽天ファッション」のサイトリニューアルなどを請け負い、その後もさまざまなブランドのオファーを受けて、こだわった『紙モノ』の編集を手掛ける一方、最近大人気のキャラクター「パペットスンスン」のブランディングのお手伝いなど、編集者の枠を超えた活動を続けています。

    IÉNA 30th ANNIVERSARY BOOK
    MADISON BLUE
    MADISON BLUE
    パペットスンスン

     

    「別に『紙モノの仕事しかしない』と言っている訳ではないんですけどね、なぜか紙モノの仕事が多くやってくる(笑)。でもフリーランスは嫌な仕事はしなくていいし、楽しくやらせてもらっています。今はやっとファッションから良い意味で距離が取れて、改めて “カルチャーのひとつ” として見られるようになりました」

     

    最近も「トゥモローランド」のオリジナルブランド、[GALLERIE VIE(ギャルリー・ヴィー)]の40周年を記念した冊子に寄稿するなど、ファッション業界からのオファーは絶えない中島さん。インタビューの最後にRAGTAGや古着についての話に及ぶと、深い経験に基づく若い世代へのメッセージをいただきました。

    GALLERIE VIE アニバーサリーブック

     

    「私は若い頃、理想のコーディネートに『何か足りない、何か足りない』と思って服を買い続けてきたけど、もうこのトシになると、ある程度のモノは揃って、自分なりのピースが埋まってきている感じがします(笑)。でもまだまだ海外の怪しいサイトとかで、つい変わったデザインのものを買ってしまいます。今の若い人たちはラグジュアリーブランドの新品を買う余裕も気持ちもまるでなさそうだけど、古着は充実しているし、RAGTAGとかで実際にラグジュアリーブランドの服に袖を通せるというのは、すごく良いと思います。おしゃれっていうのは経験と挑戦だから、実際に着てみて自分で実験してみないと。例えば大きな柄や変わったデザインの服とか、私からすれば、『(若い)イマこそ着るべきよ!』って思うことも多いし、とにかく “自分の心が躍る服” を選んで欲しいなと思いますね」

     

     

    photo : TAWARA(magNese) / edit : Yukihisa Takei(HIGHVISION)

     

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