No.34 1985年から今につながるヒットブランド-ウィメンズ編
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イマに続く1985年の40のコト。
2025年に40周年を迎えたRAGTAG。創業年である1985年にちなみ、「1985年から今につながるヒットブランド」というテーマで、当時から現在に至るまで、RAGTAGにとって欠かすことのできないブランドたちをピックアップしてみました。今回はバイヤー目線でそのウィメンズ編をお届けします。
text : rt銀座店 バイヤー HONDA
photo : TAWARA(magNese) / edit : Yukihisa Takei(HIGHVISION)

Profile
HONDA
銀座店 / バイヤー
この仕事をはじめてもうすぐ30年。これまでの経験を活かして、お客様の多様なライフスタイルやファッションに寄り添ったご提案をさせていただきます。もちろんお客様からの情報も大切にしています。トレンドアイテムから老舗ブランドまで何でもご相談ください。
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1985年といえばDCブランド最盛期、私は中学生になったばかりで初めて友人と買物に行ったときに知った[TOKIO KUMAGAI(トキオクマガイ)]や[IS(ISSEY MIYAKE SPORTS後のTSUMORI CHISATO)]、[HIROMICHI NAKANO(ヒロミチナカノ)]などに衝撃を受けたのを覚えています。
私も中学生の頃、それまでに見たこともなかったファッションを知って興奮!すぐに母にねだりました。しかし中学生にはなかなか手の届かない価格だったので、手に入れられるものは少なく、余計に憧れは強くなっていきました。今回は個人としても思い入れのある時代ということもあり、たくさんの思い出とともに紹介します。
COMME des GARCONS

1985年当時からRAGTAGが取り扱う主軸ブランドでもあった[COMME des GARCONS(コムデギャルソン)]。個人的に特に思い入れのある代表作は1994年の「縮絨(しゅくじゅう)」です。
現在まで長きに渡って代表的な[コムデギャルソン]の人気のシリーズですが、縮絨は私が弊社に入社した1994年に初めてコレクションに登場した思い出があります。初めて手にしたときは、「ボロボロだな」という感想しかなく、店頭でもさほど(今のような)人気ではなかったと記憶しています。
[コムデギャルソン]はコレクションブランドでもあるので、1994年の商品は、そのシーズン以降はブティックには売っていません。しかしその翌年、更にその次の年には中古で探す方が爆増しました。その時のRAGTAGの店頭の状況を見て、私は「時代がやっと追いついたのだ」と思いました。
斬新なデザインは世の中に受け入れられるまでに時間がかかります。1995年のエアラインバッグ、同じく95年レットヴェルベットTシャツなども同様でした。当時は店頭で普通に購入出来ましたが、時間が経つにつれプレミア化し、一時は定価の10〜20倍ほどが中古の販売相場となりました。90年代、特に[コムデギャルソン]においては、発売から人気が出るまでに1年ほどのタイムラグがあったように思います。
ISSEY MIYAKE

同じく1985年当時からRAGTAGで取り扱いのあった[ISSEY MIYAKE(イッセイミヤケ)]。中でも個人的に印象が強いのは、今では世界中で人気のある[PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツプリーズイッセイミヤケ)]。ブランドの立ち上げは1993年でした。
ポリエステル素材を使用するため、洗濯機で洗えて、丸めて収納しても形が崩れず、取り出すと元の形に戻る。手入れが簡単で普遍的、ジェンダーや体型によって制限されることのないデザインは今の時代にも最高にマッチします。
基本的には女性用のアイテムを販売していましたが、プリーツの人気を受け、2013年に[HOMME PLISSE(オムプリッセ)]を発売。近年では、人気商品は即完売で、入手困難となるプレミアムなブランドです。
[プリーツプリーズ]の成功には、プリーツ加工において日本一を目指す宮城県の『白石ポリテックス工業』は欠かすことのできない存在です。構想から製品になるまで[プリーツプリーズ]と共に歩み、様々な加工技術で[プリーツプリーズ]を世界のブランドに押し上げました。
KENZO

[KENZO(ケンゾー)]は、私が子供の頃に「ファッションブランド」という名に触れた、最初のブランドだったと思います。デザイナーの高田賢三さんは、文化服装学院の「花の9期生」であるコシノジュンコさん、松田光弘さん(ニコル)、金子功さん(ピンクハウス)と共に、当時のファッション界をリードした存在です。
私も文化服装学院出身なので、文化服装学院の学院長も務め、高田賢三や山本耀司など日本を代表するデザイナーたちを育成した小池千枝先生の授業を自身も受けていました。その中で小池先生から直接、高田賢三が学生の頃から既に持っていたファッション・服作りにこめる考え方を聞いたことがあります。
それは、カラフルな色使いや大胆な花柄などは[ケンゾー]の代名詞となっていますが、最初に認められたのはネイビーのジャケット、というようなお話でした。世界中のどんな肌の色の人にも似あう色としてネイビーを用いたことで、世界から受け入れられたのだと思います。豊かな色彩でも知られる[ケンゾー]ですが、そのブランドの始まりから基本色をネイビーにしているのも[ケンゾー]の特徴です。日本人で初めて海外で成功を収めた功績は大きく、その後の日本人デザイナーに多くの影響を与えました。
また、1971年(1972年春夏コレクション)に、[ケンゾー]は、[ドロテビス]、[シャンタル・トーマス]と合同コレクションを発表しているのですが、それが複数のブランドが集まって合同でファッションショーを行う現在の「ファッションウィーク」の原型になったとされています。高田賢三は、パリのファッション産業にも影響を与えるほどの功績があった日本人デザイナーだったのです。
HYSTERIC GLAMOUR

Y2Kファッションの人気を受け、再注目のブランド、[HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)]。1985年のRGTAG創業時にはすでに人気ブランドでしたが、弊社で取扱いを始めたのは1995年頃だったと記憶しています。特に90年代の[ヒステリックグラマー]は、現在に続く人気を確立した代表作が生まれた時代です。
パッチワークのように継ぎ合わせたスクラッチデニム、デニムにヘビをプリントした“SNAKE LOOP”、レースアップのマイクロミニスカート、“VIXEN GIRL”など、現在まで続くヒットアイテムを連発。ヒッピーやグランジ、ストリート、パンクロックなどの音楽にインスパイアされたデザインは、[ヒステリックグラマー]らしいポリシーのある独自の世界観を確立しています。
いつの時代も「若者向け」と思われがちで、その生産背景にまで言及されることが少ないブランドですが、ほぼ全てのアイテムが日本製で、品質にもこだわりのあるブランドです。
Vivienne Westwood

10年周期で評価されるブランド[Vivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)]。30年以上前には一部のファッションフリークにはプレミアムなブランドでしたが、2005年公開の漫画原作のアニメ『NANA』の劇中で使われていたことから、日本では一気に人気が爆発。劇中での着用アイテム、特に“オーブライター”は当時の定価38,000円のところ、中古市場では12〜15万ほどで取引されていました。
2022年ヴィヴィアン・ウエストウッドがこの世を去ってから再び注目が高まり、2025年には『NANA』とのコラボレーションアイテムアイテムを発売。“オーブライター”をはじめ、“ロッキンホース”や“ストームジャケット”など、日本だけでなくアジア圏で注目を集めました。
80年代から90年代のヴィンテージはコレクターに人気が高く、“アーマージャケット”や“ラブジャケット”などのアイコンアイテムは特に入手困難となっています。人気商品や代表的なアイテムは度々復刻されるので、コレクターでない限りは復刻販売を待つのもおすすめです。

さて、ここまで5つのブランドを挙げて紹介してきましたが、RAGTAGが生まれた80年代から今に至るまで、歴史に名を残す偉大なデザイナーが多く誕生してきました。その分、消えていったブランドも星の数ほど存在しています。
40年ブランドを維持するのは並大抵のことではないはずです。アイデアやクオリティ、販売方法なども40年経てば全てが変化していきます。そんな中でも今なおファンを増やし、新たな挑戦を続けるデザイナー、ブランドと共に私たちRAGTAGも成長していければと思います。



