
No.13 「同い年。1985年に生まれたブランド」ANN DEMEULEMEESTER
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イマに続く1985年の40のコト。
RAGTAG創業と同じ1985年に誕生したブランドの魅力を、RAGTAGのバイヤーがご紹介。
今回は[ANN DEMEULEMEESTER(アンドゥムルメステール)]について。
photo : TAWARA(magNese) / edit : Yukihisa Takei(HIGHVISION)

Profile
IHARA
吉祥寺店 / バイヤー
2010年入社。吉祥寺という地域に根差した相手に寄り添った、お客様の想いを汲み取った親身な対応を心がけています。ドメスティック、ストリートはもちろん、性別問わずインポートのデザイナーズブランドも得意としており、大好きな音楽関係(ROCK・HIPHOP全般)の古着やミリタリ―も好きです。そういった幅広いRAGTAGの洋服携わりながら毎日仕事に努めています。
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アントワープ6人衆
[アンドゥムルメステール(以下[アン])] はベルギーで生まれたアン・ドゥムルメステールが1985年に夫のパトリック・ロビンとともに立ち上げたブランドです。1986年には[DRIES VAN NOTEN(ドリスヴァンノッテン)]らとともにコレクションを開き、今でも色褪せることのなく名高い「アントワープ6人衆」として名をはせました。
その後ブランドは、1996年にメンズラインを発表し、2000年前半には[Rick Owens(リックオウエンス)]などのモードブランドと共に一世を風靡し、ある種カルト的人気を一時代に築きました。
クラシックでありながら決して古びない存在感のあるブランドであり、1985年のスタートから2013年のデザイナーの引退~2025年の今に至るまで一貫して「ミニマムかつジェンダーレスで詩的な」アイテムを発表し続けています。
アイテムに込める思い

[アン]の洋服の魅力とは何かと聞かれたら、挙げるべきポイントは沢山あります。
黒を基調とした素材の陰影や繊細なドレープ、非対称なカッティング、どんなに時代が経っても色あせないジェンダーレスなシルエット……など。
ただ、それを[アン]は何も語らず、音楽家であり詩人のパティ・スミスの言葉を借りて語ります。
『服とは言葉の代わりである』と。
洋服自身が持つパワーやそのデザインはもちろん、そのようなアン自身のデザイナーとしての生き様や佇まい、多くを語らないことによる沈黙の美しさに魅了された人も多いのではないでしょうか? 私もそういった中の一人でした。
彼女は多くを語らない代わりに、友人でロックアイコンでもパティ・スミスの詩をカットソーやチュールなどにプリントして、着ることによって人間が持つ内面的な感情やイメージを表現しました。
ポリー・ジャン・ハーヴェイなどの多くのロックアイコンから[アン]の洋服が愛されるのも、こういったロックとの関わりが少なからず垣間えるからだと言えます。
デザイナーの引退

アンは2013年秋冬のショーを最後に、デザイナーとしての引退を発表しました。アンらしく、「新しい時代の声を聴くべき」と簡素で誌的な言葉を残してブランドを去ります。
アンが手掛けた最後のコレクションはいつものように強く、静かで美しかったのを覚えています。見る者に静かな哲学を問い、着る者に華やかな美しさと自由をいつものように表現していました。
2013年秋冬のラストショーでは、親交のあるパティ・スミスの詩の朗読で締めくくられました。
パティ・スミスは著名な写真家のロバート・メイプルソープを引用に使い、アンの作品への友情と賛美を送り、アンの服を通じて着る自由や喜びを語りました。
ブランドの継続~今

その後、メンズラインのアシスタントをしていたセバスチャン・ムーニエがブランドを引き継ぎ、2020年以降はステファノ・ガリーチが加わりました。[アン]らしさを持つブランドは継続を続け、今に至っています。
2018年にロバート・メイプルソープやパティ・スミスなどを実際にコレクションのイメージソースで使用するなど、創業デザイナーであるアンのDNAはしっかりと引き継がれているように感じます。
2020年までブランドを支えたセバスチャン・ムーニエはあるインタビューでこう語っています。
「私はアンの純粋なDNAを守るため、流行のストリート系ファッションは一切見ないようにしています。今は[アンドゥムルメステール]は流行の中心ではないかもしれませんが、流行は日々1,2年前と比べても大きく異なっています。そして私たちもまた流行の中心に戻れると信じています」
デザイナー自身がいなくなっても、ブランドの本質は何も変わらず、多くのファッションラバーに、今なお着ることによっての喜びや感動を伝え続けています。